PR

◇ 山室静「評伝森鴎外」

鴎外は、そうとう昔に数作くらい読んだ気がするが、
膨大な著作から見ればわずかだし、多分短編が多かった。
長編は「澁江抽斎」は覚えてて、……もうほんとにいい加減にして欲しい、と
思った記憶がある。

わたしは鴎外の著作で大好きになれるものはなかった。冷静すぎるんだと思う。
まあ寓話的には好きだけれども(「ぢいさんばあさん」「安井夫人」とか)、
感情にはあまり訴えて来ない。わたしは漱石派。

昔から不思議だった。この人は文学界の巨人で、陸軍で出世。
いわば功成り遂げた人なのに、なんでこんなに寂しそうに見えるんだろう。

奥さんとはあまりうまくいってなかったようだけれども、それでも
子どもは5人いるし、その子どもたちはパッパが大好きだし、
両親、弟妹には期待されて頼られて宝子と呼ばれ、……不遇という言葉が見当たらないのよ。
この謎を抱いたまま、今回本作を読んだ。そしたら2ページ目で謎が解けた。

マザコンだったんですかっ!!

マザコンというとイメージがちょっと違うか。強い母に抑圧されていた。
いたく納得した。津和野の藩医の家柄で、控えめな良妻賢母のお母さんを想像していたが、
家付き娘で頭も良く気も強いというエピソードを読むと、「ああ!」と納得する。
だから最初の嫁とはうまくいかなかったし、二番目の嫁もまあまあ苦労したようだ。

家族全員に期待されるということは、鴎外ほどの大才をもってしても
プレッシャーは感じるだろうし、有能で気の強いお母さんが大事な宝子にはよせる思いは
励ましよりも抑圧になってもおかしくない。

これ以後、一問一答的に納得した点を書き並べて行く。

〇「本家分家」「カズイスチカ」「妄想」などを読めば、鴎外の家庭環境が書いて
あったのか。

〇お父さんがディレッタント指向。繁盛したお医者さんだったそうだが、それより
自分の趣味を優先させたい人だったようだ。お母さんが尻を叩いて本業に向かわせたとか。
父は諦念主義の手本。

〇津和野藩の学風は、儒学一辺倒だった他藩とは違い、儒学・国学・蘭学を学べる
環境にあった。藩学養老館には「国学、漢学、蘭学、医学、数学、武術」が掲げられていた。

〇西周(よく知らんが、有名な人)は親戚であり、東京ではその家に下宿して
学校に通ったこともあるくらいなのに、鴎外が西周に言及したものは少ない。
彼の死後、遺族に乞われて書いた「西周伝」にも情愛は感じられない。謎。

〇容貌コンプレックスがあったようだ。それとマザコンがあると、恋愛生活は
順調にはいかなさそうだなあ……。「先天的失恋者」という自己評価。
そして面食い、美人に対しては悪い意味で弱い。

〇夢と希望に満ちた陸軍医のキャリアスタート、プロシアへの官費留学、薔薇色の未来。
しかし心に吹き込む灰色の風。

〇鴎外の心はまず哲学に向かった。ハルトマンからショーペンハウワーを辿る。
だが「多くの師に逢って、一人の主にも逢わなかった」。
……このあたりの説明は、わたしのような哲学を知らない人間でも非常にわかりやすく
書かれていて引用したいところだが、1ページの3分の2を引用するのも大変なので
省略する。ハルトマンの(やや通俗的な)思想をきちんと咀嚼したとは言えないのではないか、
とのこと。

〇帰朝した鴎外は論文を書きまくった。評論もしたし、論陣も張ったし、
……とにかく勤勉勤勉また勤勉。
能力も体力も継続力もあった人。そういう意味ではまさに「巨人」。

〇帰朝の翌年からまずは訳出からの文学活動。「於面影」の稿料がたくさん入ったので
文学雑誌「しがらみ草紙」を発刊。さらに翌年「舞姫」から始まる初期著作。
文学論も戦わせ、存在感を増す。

〇ただしその活動は2、3年というところ。軍医学高校長心得という官位、
日清戦争勃発で出征。本業の忙しさで文学活動の休止は妥当であると見える。
だがその外的要因だけが理由だったか。

〇そもそも鴎外の活動を、わたしは官(医学)と民(文学)の二面として理解していたが、
――なるほど。官と医と文という三方面とも言えるわね。
そして鴎外は「医」については現場にはほとんど出ていない。医学者、研究者としての
実務はほとんどない。啓蒙活動、役人寄りの「医」。結果的に彼は出世していく。
良くも悪くも、役人としての人生を選んだ。

〇鴎外のロマンチシズムを高く評価した佐藤春夫の意見などはあるけれども、
殉情の人というより、理知の人、もっといえば打算の人ともいえる。
処女小説である「舞姫」――まさにそれは、恋人を出世のために捨てる物語である。
これだけに要約してしまうのは乱暴だが、この処女作に鴎外の人生が表れているのではないか。
――これはわたしが要約しているので著者の意を十分に尽くしているとはいえないが、
この部分の結論を引用すれば、

このように見てくると、いかにも不世出の文豪鴎外を徒に小人物化して
快とする者のように取られるかもしれないが、私の意図はそうではない。
鴎外が抜群の有能な官吏・軍人として出世街道を悠々と歩みながら、
なお「心の飢え」を感じて文芸に心を寄せずにはいられなかったのも、
それだけ彼の内部にそのように感じやすく傷つきやすい部分があったからであろう。
そしてこの弱い部分のために、科学者また文学者としての鴎外は、
結局大きな犠牲を強いられて屈折し、それが彼の生涯と作品に木下杢太郎のいう
「悲哀に似る一種の気分」、高橋義孝のいう「怨念」のようなものを
つきまとわせたのでもあるが、この屈折と怨念なくしては、彼があれだけ
長い執拗な文学活動を持続できたとは思えないのだから。

これだけ改行無しに引用すると読みにくいが、ひと段落なので改行はしなかった。
なるほど。屈折。怨念。うーん、なるほど。挫折をしなかった人というイメージが
あったけれども……
本人的には挫折だけだったのかなあ。

〇文学なんぞをしている者はうさんくさい、という組織の感情から、
鴎外は小倉に左遷される。この時に官を辞して文学に邁進するという道もあったけれども、
それは鴎外は取らなかった。友人、家族に反対された。

〇近代人の自我の目覚め、という点において、鴎外は中途半端にしか戦わなかった。
その点で透谷、花袋、藤村よりも近代文学の形成過程に果たした役割は小さい。

〇鴎外の近代自我の不成立は、やはりその生い立ち、封建的学問から来る
家族、国家観によるだろう。

〇たしかに実生活のエリスを追い返したのだろうし、それも家族や友人が
盾となって守ってくれて、本人が直接エリスと交渉した上ではなかったようだ。
鴎外にはなつかしい気持ちはあれども比較的冷淡――だったのだろう。

〇「性の力の盲目性への恐れと嫌悪」「殉情よりも理性と意志による感情の統御を
好ましいと思う」この2点が鴎外の恋愛観なのではないか。
これは家庭環境と儒教的な教育がゆえだと思われる。

〇最初の妻、登志子は母の意向で迎えた嫁。長男於菟が生まれた1か月後に
鴎外の意志で離婚。この経緯は詳しく書いてないんだが、父母の意向にも反した
かなり強引な離婚だったらしい。(この離婚の原因については相当にいろいろ見方が
あるらしく、この本1冊読んだくらいではわからない)

〇結婚に懲りたのか、10年ほど独身生活を続けるがその後18歳年下のしげと結婚。
登志子と違ってしげは美貌だったらしい。面食いの鴎外はそこが気に入ったのかも。
だが間もなく嫁姑問題が勃発。家庭の中は気が休まる状態ではなかったらしい。

〇さかのぼって二度目の結婚前の数年間――というより初期作品を相次いで発表した
数年間以後――の鴎外の文学的活動は低調である。小倉時代も、役人仕事は減ったはずだが
文学へは向かっていない。この時代、創作活動から離れるという随筆も見られる。

〇東京へ帰った後、文学人との交流による刺激もあるのか、文芸誌の創刊、
文学的講演、翻訳、戯曲とだんだん活動が広がっていく。医学、哲学の翻訳もあり。
明治37年から39年まで第二軍軍医部長として満州へ。

〇凱旋後すぐに「ゲルハルト・ハウプトマン」講演。のちに書籍化。
ハウプトマンは新進の作家で、情報拡散速度が今よりずっと遅いだろう時代、
しかも征戦中に講演が出来るほどの情報を持っていたのがすごい。

〇陸軍軍医総監。40年春から2年強の間、観潮楼歌会主催。
イメージではもっと長く続いたのかと思っていたが、意外に短い。
歌に肩入れした時期もあったようだが、それほど長い間ではなかった。

〇明治42年から「豊熟の時代」(木下杢太郎による)。大正6年ないし9年まで。
夏目漱石の旺盛な文学活動に刺激されたらしい。陸軍での地位の安定によるところも。
とはいえ、官人としては第一線――というより最上位というべきか――で、
「ヰタ・セクスアリス」以降が全て書かれている状況は、正直言って
なんなのかわからんほどの仕事量。

〇乃木希典の殉死に触発された「興津弥五右衛門の遺書」以降の歴史小説への転換。
これを「近代的自我の解放を半途で挫折させ、そのことから文学者として生きることを
殆ど放棄せざるを得なかった鴎外」が「極めて日常的な身辺の雑事に好んで取材し、
淡々とこれを叙し来り叙し去ることになる」と言っている。
このあたりは晩年の「澁江抽斎」以降の作品を当てているのだろう。

〇「芸術に対する高い要求を引込め、小説というものを極めて自由に考えたところから、
次第にのびやかで豊かな創作の世界が開けていったのだろう。ことに驚くのは、
小説の中に気ままに感想や議論をもちこんだり、描写を極めて恣意的に展開させたり
打切ったりしながら、ふしぎと微妙なところで作品をみごとにまとめている、
作家鴎外の自在さである」

〇諦念主義、「あそび」という言葉を使いつつ、鴎外は若い頃挫折した文学、恋愛に
改めて向き合ってみたいという思いを潜ませていたかもしれない。
「意気地のないもの」と自分を規定し、自己保身の心はありつつ、心的充実を求める。

〇「足ることを知るといふことが、自分には出来ない。自分は永遠なる不平家である」
こう書く鴎外が、諦念者たり得るだろうか。

〇(これ以後10ページほどは話が哲学的になりすぎ、また「かのように」を
読んでいないわたしには内容をまとめることが出来ない。日本とヨーロッパを対比する
ことで日本を規定し、科学を育てる土壌がないことを嘆く。その日本を変えるために
一国を指導する立場を望んでいたのではないか、山県公への接近などもその文脈ではないか
――という内容を含む)

〇軍医として最高の地位についた鴎外に対して、しかし官情は薄かった。
文学との二足のわらじがやはり祟ったらしい。陸軍引退は54歳か。
若くしてその地位に着いたのだから、一概に早いとはいえない。
9年総監の地位にあったのだから、おそらく短いとはいえない。

〇その後、帝室博物館総長兼図書頭に再就職。欣々として務める。
文学的活動は再び沈滞する。5年ほどその職にあり、しかし病を発す。
腎臓病および肺結核。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」死去。
おそらく満では60歳。

 

――とがんばってまとめてみたが、まったくダメですね、これは。
多分内容に間違いが多々ある。著者に怒られそうだ。後半はやっつけです。

1.「新知識として得たこと/鴎外の人生の概略」
2.「本作の内容のまとめ/自分の感想」
がごっちゃになっている。本当は新知識として得たことをメモとして書きたかったのだが。
だんだんまぜこぜになった。

これでだいたい第一章「鴎外の歩み」90ページ分です。
文庫本300ページ弱だからおよそ3分の1。第二章「鴎外文学の世界」は
話がより哲学的になり、まとめることすらおぼつかない。
第三章「作品について」第四章「鴎外文学の評価史(覚え書)」は、
これはわたしがまとめなくてもいい内容。

しかし、著者の山室静の文章は明晰でわかりやすく、まとめることは出来ないけれども
読みながらであれば半分くらいは理解出来た。
鴎外に対して若干手厳しいのか、と思う部分は多少なりともあったが、
見方がさまざまに分かれることも、鴎外がいかに巨人であったのかという
証明みたいなものだしなあ。

山室静の著作はもう少し読んで行きたい。明晰な文章に惹かれて。
――この人にはおそらくはるかな昔に「カレワラタリナ」でお世話になっている。
amazonなどが出来るよりはるか昔、
何かについて読みたいと思っても本屋での偶然の出会いに期待するしかなかった頃、
北欧神話への知識欲を多少満たしてくれた本として印象深い。

コメント